【機動戦士ガンダム】は何故誕生したのか、社会現象になったのか!? 機動戦士ガンダムの歴史
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- Опубликовано: 3 июн 2022
- 機動戦士ガンダムが流行った原因が何だったのかを探っていく動画です。
他にも色々な要因があったと思うのでコメントで教えてください!
この動画が続きです。
• ガンダム初期の人気を支えた企画MSV紹介 機...
動画に出てくる漫画は、ガンダムを創った男たち。です。
分かりやすくギャグもあるので読みやすいです。
当時の事なのでインタビューや書籍によっては、色々異なったりしています。
例を出すとガンダム記録全集では、ガンボーイが一番最初にデザインされた事になっていたなどです。
誤字脱字、間違いあったら申し訳ないです。
機動戦士ガンダム、15話【ククルス・ドアンの島】が2022年6月3日に映画化されました!!
これからファーストの展開が増えたり楽しみですね~ Игры
ホワイトベースの「こんな木馬みたいなの売れん」がちゃんと本編でジオンから木馬呼ばわりされてるのが富野カントクよほど根に持ってたんだなぁと
思ったww
子供心(といっても高校生)に『ジオンはホワイトベースやガンダムの名前を知らないから、木馬とか白いMSって呼んでいる』っていうのが凄くリアルに感じた。
解るよ~ガンダムは青春でしたよ、泣けるよ
る
@@火星です くぬ
小学生→モビルスーツかっけー!
中学生→キャラかっけー!
高校生→世界観かっけー!
今→最初に戻る
それな!
わかる
分かる!
ワイはいま還暦だがずっと「モビルスーツかっけー!」やな。
ガンダムとの出会いは中学三年だった・・・
とても詳細な動画で楽しめました。付け加えるならば、ガンダム当事者世代(本放送当時中3)として、補足していただきたいことがあります。それは、「ガンダムは自分たちが見出し、応援した」という当時の中高大学生の自負、熱意です。
もちろん、先行する「ヤマトブーム」「松本零士ブーム」でも熱意は大きなものだったのですが、ヤマトの場合は西崎義展という稀代のやり手プロモーター、松本零士の場合は東映という「仕掛け人」に乗っかった部分が大きいものでした。
一方、ガンダムは「後ろ盾」のない作品でした。動画でも述べられているように、スポンサーも弱小、制作体制も貧弱、メディア側も入れ込んでいたのは弱小「アニメック」だけ。言ってみれば「孤立無援で奮闘する作品」だったのです。だからこそファンは「自分たちが応援しなければ!」という強い思いを抱いたのでした。
放送打ち切りに反対する嘆願書、クローバーのおもちゃを購入する運動、とにかくいろんなことをやりました。動画にも映っている同人サークル「ホワイトベース」はSFマガジンで会員募集されており、全国に支部を持つ巨大サークルでした。まさに「ファンの力」を総結集した作品だったのです。
大げさなことを言えば、ガンダムは「ファンの力」だけでビッグタイトルとなった最初のアニメなのです。言い換えれば、今まで仕掛ける側に「乗せられてきた」アニメファンが、自らの意思で選び「乗せた」作品でした。
ちなみに、現在に続くガンダムというブランドの確立は、ガンプラの力、Zガンダム以降のガンダムシリーズの登場、バンダイと角川の協業などあり、いわゆるファーストガンダムの手柄ではありません。「めぐりあい宇宙」の公開をもってガンダムブームはいったん終焉するからです。時代は富野作品ブームへとシフトします。
SNSもない文通だけの時代に、ここまでのムーブメントを起こした熱量ってのはホントに凄い。
確かにこういう時代を生きて来た直撃世代ならば、富野に心酔して信者化していくというのも解らなくもないなあ。富野信者めんどくさくて嫌いではあるけど。
熱い時代だったんだなあ。
コメント見させて頂きました。
すごく熱い時代だったんですね!
@@user-cn2sx1bs6d どうなんだろうね?うちの知り合いの知り合いの富野信者はトリトンからのリアルタイム勢だったみたいだけど。去年亡くなったけど。
正直、嫌いな相手の生態とか別に知りたくもないからよくわからんのよね。
当時勢の全部が全部富野信者になったわけではないとは思うのだけど。
+8823 kakky様
「アニメック」の他「OUT」の存在も忘れてはならないでしょう。アニメキャラでオリジナルストーリーを描く
「アニパロ(アニメパロディ)」を確立させた雑誌であり、読者参加コーナーの投稿熱もありました。
かのあ~るやパトレイバーのゆうきまさみ先生も「OUT」でガンダムのアニパロを描いていて、ガンダムの映画化に
触れて「映画がヒットしたら調子に乗って続編を作るつもりなんだろ、そのうち〇〇〇(言わずと知れたヤマト
の事)みたいになっちゃうぞ~」というセリフがありました。
その頃ヤマトはさらばでヤマトが特攻して完結したはずがTV版のヤマト2で掌を返して生還させ、新たな旅立ち
以降西崎氏の暴走と迷走としか言いようがない続編の制作でファンから見限られて低迷消滅してしまいました。
(「地獄のけだもの~ 宇宙戦艦ヤマト~♪」という誹謗MADテープが作られたくらいでした)
ガンダムは結局ゆうき先生の予言通り続編(Z以降)が作られるわけですが、ヤマトのように特攻したヤマトを
生還させたり死んだ沖田艦長を生き返らせたり(完結編)する暴挙に出ず、「ガンダム」の名の元メカや登場人物を
一新させたがゆえに現在までのブランドを確立できたのかもしれません。
(ヤマトはリメイクが出ていますが「ほとぼりが醒めたとでも思ってるの?」とあえて見ていません)
@@user-ur7hl5ek6z 様
コメントありがとうございます。「OUT」もガンダム人気に貢献したことはもちろんです。特に「例の」セイラさんピンナップが折り込まれた号は爆発的に売れたとか。まあ拙文で取り上げなかったのは、「OUT」には「宇宙戦艦ヤマト」ブームの火付け役という大きな貢献があったし、本気度で言えば紙面の大半をガンダム一本につぎ込んだアニメックと並列扱いは控えたいと思った次第です。
さて、「宇宙戦艦ヤマト」ですが、確かに「ヤマト2」が生存エンドだったことで多くのファンを興ざめさせたことは事実ですし、それ以降のヤマトがファンにとって揶揄の対象であったことも事実です。ただ、視聴率や興行収入を見れば、「完結編」まで人気を維持したこともまた事実であり、僭越ながら、低迷消滅というのは適切ではないと思うのです。個人的な意見を言えば、ヤマトはファンにとって「縁を切りたくても切れない性悪女」といったところでしょうか。そして、2199は、個人的に不満点は多々ありますが、かつてのヤマトファンでも納得できる佳作だと思います。(2202以降は…)騙されたと思って、一度ご覧になってはいかがでしょうか。
当時ガンダム打ち切り阻止の一助になれば!とクローバーのDX合体セット買いましたよ……
大人!
マイナーなアイドルのCDや商品を大量に買い込むのと同じですよね。
高校生でしたから僕は幼稚な客を馬鹿にしている様なクローバーの超合金は買う気になれませんでしたけど友達はキッチリ購入していて見せてくれました。
ファンの鏡ですわ。😅
幼なじみの金持ちの親友の自宅に存在してたわ、それ。
あなた達のおかげで自分は今こうしてガンダムを楽しめてます。
俺らの世代まで繋いでくれてありがとう。
まじでありがとう
当時のガンプラブームは本当に凄かったですね。
今も品不足と言われていますが、そんなレベルじゃなかったです。
小学校の時、昼休みに友達(悪友)3人と学校を抜け出して、入荷予定の模型店に買いに行きました。(それも学校の近くに自転車を用意して)
時間内に学校へ戻れないわ、買えたけど自分はエルメス、友達二人はホワイトベース、ムサイ...。
放課後、校長室に呼ばれ、こっぴどく怒られました。
40年前のいい思い出です(笑)。
w
各モデルごとに予約ノートってのがありましたね。
3年待ちとかw
@@user-bh2wr8jm3l
ありましたねぇ~ 予約ノート。
とりあえず予約入れたはいいけど、入荷の目処が全くないという..(笑)。
戦艦&モビルアーマー系は、争奪戦に負けた人が仕方なく買って帰る商品でした。
お小遣い1000円を握りしめて初めて買ったガンプラは量産型ザク(300円)とリックドム(500円)。
そして残り200円でカラーの何色を買うか散々悩んだ挙句、黒とニュートラルグレーを買ったが
その後モノアイが塗れないことに気づきまあまあ絶望した思い出。
ちなみにその頃は消費税などという無粋なものは存在しなかった。
@@corillaz5817
量産型ザクは足首動かないし、胴体と腕の接着剤の使い方を間違うと腕が固定されちゃったり。
(腕側のU字ワッシャみたいな部品がキモ)
その点、リックドムは出来が良かったですね!
カラーはモビルスーツ毎に「ガンダムカラー」がありましたね。
@@neneko23
お店にもよるのですが、自分が通っていたお店の予約ノートは、各スケール、各モビルスーツ毎に予約欄があって、そこに名前、電話番号を
書く方式になっていて当時、人気のあった1/144のグフ、ドムなんかは予約ノートに100人以上のお名前が書いてあったんですよ。
実質、いつ入手出来るか解らないんです。1ヶ月先なのか、半年先なのか...。
5:57 まさかこんな初期からククルス・ドアンが組み込まれていたとは…
打ち切り自体は残念だけど、アムロ以下WBクルーが全員戦地脱出したところで終了したというのはラッキーだったと思う。
富野監督が構想していた諸々のテーマとは別に、『少年少女のSFサバイバル物語』として完結したことになるから。
TVアニメ大して見たことない人でも「最後まで見たよ、アムロ生き残れたよ、良かったねぇ!」と言えることで、ガンダムは幅広い層に支持される作品になった。
52話やりきれず43話で終われたのはもう奇跡のようなものかもしれない。
…まあ、意に反して(?)主人公頃し損ねたアニメがその後40年以上シリーズ化されるとか、この頃の誰一人想像できなかったんだろうけど。
当時、小学生で本放送を見ていました。
1話完結でなく、敵メカが量産タイプで何体も出てくる。武器の名前を叫ばない。少佐とか中尉といった階級が出てくる等々本当に斬新で次週の放送を楽しみにしていました。
古谷さんの収録中に大学生の有志サークル『ガンダムファンクラブ連合』が作品を支えてくれたらしいですね。今こうしてガンダム知れたのもその人達のおかげだからホントに頭上がらない…
(ソースは閃光のハサウェイの公開前記念動画)
富野由悠季の世界(展覧会及び書籍)でも見たのですが、資料の密度がホントすごいものでした。自分は、アニメに携わる仕事の方の資料をそこまで深く見たことがなかったのですが富野由悠季は作品制作への本気が違うと素人でもわかるほどでした。
全てが発明的だよね。(特にザクのデザイン、設定)
凄い…という言葉では足らない。
リアルタイムに生まれ、体験してきた事を誇りに思う。
売り手ではなく買い手が生み出す人気こそ
本物の“ブーム”といえる。
初期案の「十五少年漂流記のような少年少女のサバイバル」は、のちに「銀河漂流バイファム」として作品化されている。ゆえに同作では原作者として富野氏の名前がクレジットされている
大河原氏の功績を丁寧に挙げられており嬉しかったです。富野・安彦氏と並び、ガンダムを創った偉大なクリエイターの一人として、もっと評価されて欲しい!
俺もそう思います
令和に初代の新作が見れる・・・こんなにうれしいことはない
今年はじめぐらいに札幌の富野由悠季展を観に行きましたが、小学生時代にデザインした架空の戦闘機の設計図(めっちゃ詳細なスペックつき)とか、父親の潜水服から着想を得てデザインした気密戦闘服の図案(これも小学生時代のもの)とか展示されてましたね
幼少期からとにかく想像力と実行力に富んだ人だった
テレビの特番かってくらい解りやすくて感動した…毎度良い編集をありがとう
クリエイターの努力や情熱も凄いけど、ファンの熱意も凄い
放送終了後にスポンサーが付いたりとか、IPとして継続する事が出来たのはファンの支えのおかげだろうな
ファンの情熱が全てを変えたって感じ。やっぱりいいものを作れば応えてくれるんだよな。
普通に動画の内容も興味深くて貴重なんだが、それ以上に、主の動画制作のセンスが良さすぎて、所々巻き戻してしまうレベルで笑うwwwwww
しおたらんさんの動画は編集が凝ってて情報量も多めだから見ててかなり楽しい
わかる。
無駄な情報も無駄じゃ無い感覚で何度も見直してしまう。
当時の写真や同人誌、の情報が盛りだくさんで空気感が味わえるすごい動画だった。
本気度が伝わるいい解説動画。いいね一個じゃ足りないよ…。
素晴らしい内容でした。当時の映像やイラストなどふんだんに盛り込まれていて、40年来のガンヲタでも楽しく見る事が出来ました。
私は最初に手に入れたガンプラは「グフ」でしたが、未だにグフと「ランバ・ラル」は1番好きです。
プラモも、ドムやゲルググ・シナンジュまで蒼く塗ってしまいます。
また、ガンダムの面白い動画の作成を、宜しくお願いします。ボトムズやエルガイム・ダンバインにザブングル。当時は全部見てたなぁ…
父が初めてザクを見た時痺れたと言っていた時、まだガンダムを知らなかった自分はそんなわけwwwと思いながら第1話を見て衝撃を受けた事を忘れない
シャアザクめっちゃ好きでした
旧キットの1/144・ザクⅠ(当時は当然旧型ザク)を「1981年」に買ってそこから小顔矯正、ザクⅡ調の塗装、Sアーマー、105ミリザクマシンガンをフルスクラッチで作りハンダをネジネジでⅡと同じ配置で動力パイプ、リュックを他部品流用で豪華に。
2か月かけて作ってまだ実家にあります。で、この旧キットがまだ現役販売、さらに似た発想でシャア専用が出ている…40年の時を経て全っ然、当時と同じガンプラ環境に驚くばかりです。
よくぞガンダムを生み出してくださった当時の制作陣に本当に感謝しかない!
2022年6月3日、昨日。最新の映画が公開されたね。43年も続くシリーズになるとは、当時小学生だった私には判らなかった。でも、初代ガンダムブームの真っただ中にいて、その熱気を知った身からすると、今の世界中での日本アニメ人気は十分納得出来る。
僕らの青春時代、最も早いニュースはラジオから得た。今じゃ想像もできないけどね。あの頃の深夜ラジオは熱かった。ガンダムの後、マクロスやナウシカの映画公開に、ボトムズにダグラム、Lガイム・・・本当に世界中が熱くキラキラした時代だったと思うよ。
サントラ第1弾出した時に「ジャケットが子供っぽくてレジまで持ってくのが恥ずかしい」と
声が上がり第2弾で残骸が残る戦場をアムロがたった1人歩くというジャケットになった
当時その二枚目のレコードを誕生日に買ってもらったのが私です。
改めて見ると当時のロボットアニメとは真逆の異色作だったんだな。放送当初は低視聴率の打ち切り作品とは知ってたけど、放送終了後の人気がこんなに凄まじいモノだったのは知らんかった。
今日までガンダムシリーズが続いてるのも、制作陣と当時のファン達のおかげだな。ありがたやありがたや。
ガンダムと宇宙戦艦ヤマトは内容は異なりますが人気が出たのは共に番組が終了してからですね。お互いに本放送は低視聴率に終り、打ち切りって形で終了してしまいましたが、その後ヤマトは一部の口コミで一方ガンダムはガンプラで人気に火が着き日本を代表するメジャーなアニメになりましたね。
僕の経験では、本放送終了後幾度と再放送が繰り返されました。再放送が繰り返される度に、ガンダムの商品(もちろんあのガンプラも)がたくさん売れたのを見たことがあります。
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両者とも、本放送終了後幾度と再放送されました。
宇宙戦艦ヤマトの裏番組は、アルプスの少女ハイジだったはず。
そのせいで視聴率が悪かったと聞いたことがある。
18:11 当時の富野監督のギラギラとした自信に満ちた感じ!この頃は宮崎監督が後を追う形かな。
あと初期設定を独自発展させて作ったのがバイファムだというのがよく分かった。
無敵超人ザンボット3を最近観たけど戦争の現実をこれでもかと教えてくれる素晴らしい作品だった
やっぱザクなんよなあ、ほんまいいデザインや
雑魚い感じがにじみ出ているのに何故かカッコいい
子供の頃に映画G3を立ち見で視た。現在でもめぐりあいを聴く度にあの時の映画館での状況が記憶の箱から蘇る。ララァが逝く時と最後の脱出シーンは脳裏に焼き付いている。
現在親とは悲しいが不仲。しかし当時立ち見でも頑張って券をとってくれ映画館に連れていってくれ最後までそばにいてくれた親が愛しい。
自分は現在46歳の中年だがそんないい大人が現在になってもgジェネをやりハサウェイやドアンを視に行く。Gは怪物。
Gは無関心な人や世間一般的には子供向けロボットアニメにみられるかもしれんが、Gファンは大人になっても恥ずかしからずにその存在への依存を堂々と語れる。やはりGは怪物。
40年以上前に買ったガンプラが、いまだに造りかけ…
ひさびさに箱を開いたら、塗料がビンの底にへばりつくくらいに減ってた!
ついでで出てきたザクのデザインがカッコよすぎる
ファーストガンダムは打ち切りとは思えない綺麗な終わり方よね
8:57
ホワイトベース、
一番最初のデザインが個人的にクソカッコイイ!
八丈志麻←→セイラ・マスはツボです😂
映画3作品共に劇場前徹夜組一番で仲間達と話し盛り上がって朝を迎えアムロのセル画を貰って歓喜した今は昔の青春を思い出しました。ありがとうございました。未だにアニヲタです。放送当時高校生でしたので同級生がアニメージュのコピーを持っていたので君もガンダムファンか!と感動したのを覚えています。
当時は中々いませんでしたからガンダムファンは。😅
ザクをデザインした大河原さんは天才だと思う。ジオンのモビルスーツは武骨なデザインで好きでした。
素晴らしい編集でした。
当時のガンプラを買っていた中高生はいまは中高年になった。そして今もガンプラを作っている、、、、。
富野由悠季展でいくつかの資料は見たけど自分が見た内容以上の動画で感動しました。
自然と涙が流れてきました…これからもガンダムを全力で応援します!
内容が濃い!昔動画って基礎だけでおわるのが多いのに
知らない内容が3割〜5割もあった素晴らしい!
当時お子ちゃまだった自分は話が難しかったので
ガンダム放映の土曜の夕方はモグタン(漫画はじめて物語)とバトルフィーバーJが楽しみだった
映画・ガンプラブームにはもちろんどハマりしたけどw
破滅的、悲劇的な結末が多い富野氏の原作の中で当初の不人気のせいでそうならなかったことが続編の世界観の拡張につながったのも面白い。運命的だね。アニメ新世紀宣言を見に新宿アルタ前に自分も行ったが凄い人だった。現場ではあまり何が何だかわからない状況だったけど
動画、面白かったです。
いつも思うんですが、しおたらん氏のBGM選択は卑怯w。
「人気上昇にも関わらず打ち切り」「打ち切り後の社会現象」は知っていたけれどなぜそうなったのかは知りませんでした
プロトタイプもこれはこれで面白そう
というかこのときの案が後のバイファムやリヴァイアスに繋がったのかな
めちゃくちゃ分かりやすいし意外と重要な役割も担ってたことに驚いた
『5時半に帰らなきゃ』って部活切り上げて帰る高校の友人がガンダムって凄いこれまでにないアニメなんだよって力説してた
5時半から30分とか部活や塾のオンタイムにやるアニメ?って中高生をターゲットにしてないのか?なめてる?って会話したのを覚えてる
リアル設定のおかげで現代でも通用するアニメ
今日まで人気なのは当時の方々の努力のおかげですね、本当にありがとう。ありがとう。
何故か熱いものが込み上げてきて
涙目になる。
いや、これすごい良い動画だ。当時の熱が伝わって来ます。作ってくれてありがとうございます!
19:01 この写真を昔アニメ誌か何かで見たことあったけど、このお二人だったとは知らなかった。
素晴らしい。よくこれだけの情報を集め整理したなぁ、と思う。個人的には、永久保存したいぐらい。動画も良かったが、本編の制作に関わった方々が素晴らしいと思った。そして、作品を支えるファンの熱意にも感心させられた。途中からではあるが、当時をリアルタイムで楽しめた事に感謝しています。
また、当時、番組が終わって映画化の話を聞く前に、ガンダムの映画化の署名を求めていた女の子の姿を時々思い出します。彼(彼女)らの活動無しに今日のガンダムは、ありえなかったでしょう。
俺もそう思う、ガンダムが打ち切りにならなくて良かった
古谷さん、キャラに縛られるのはもはや宿命としか思えんな…
素晴らしい。
この20分余りの動画は、真にガンダムを語っている。
本放送当時にガンダムを取り上げる番組は稀少でしたね。
その稀少な番組がTBSラジオの深夜番組パックインミュージックの野沢那智&白石冬美担当回(木曜日だったかな?)
野沢那智さん自身はガンダムシリーズには無縁でしたが、内容に惚れ込んでいた様子でした。
ありがとう。久しぶりに良い動画見ました。当時のガンダムブーム思い出しました。
あの西川貴教さんも当時は学校の部活動でガンダム見られなかったと残念に思ってたそうなので、やっぱり主な視聴者層と時間帯が合ってなかったんですねぇ…
知りたくなる題材で、見てよかった。
色々と初めて知り、準備・設定を徹底的に推敲し
従来と当時の世の中、若い人たちの特徴までも
考え、改善に改善を重ねて十分な検討と努力による
成功と感じました。
初めて見る資料・情報ばかりでたまげた
放送当時、アムロの「弾切れか!」のセリフにとても驚いたことを思い出す。それまでのロボットからは無尽蔵にミサイルとかが発射されていたので。
動画も解りやすく素晴らしいですが、皆さんのコメントも素晴らしいですね。
動画+コメント=ガンダムの素晴らしさ
でしょうね。
Gundam Trilogy movies are one of the best anime out there, it fixed everything that Tomino had to sacrifice for the TV broadcast.
機動戦士ガンダムをテレビ放送で観た1ファンです、製作に関する色んな秘話が観れてとても良かったです🎶😆👍
5:58に辺りの基本設定画でククルス・ドアンの名前が既に出ていることにビビる。それにしても毎回見てて鳥肌が立つほど完成度の高い動画だ
いつもながら、完結された素晴らしい動画✨ガンダム好きが益々好きになるような細かな情報といい最高な動画✨
可能ならばイイネを百式改…ゲフンゲフン、100回押したいです!
まさかしおたらんさんが、ガンダム誕生秘話をやってくれるとは…😅
わかりやすく、とても面白かったです!😆
ガンダムが大好きで良かった😭
ものすごくガンダム愛が感じられる良い編集ですね。すばらしい!
こんなところでコメントするのなんなんですが、自分の初ガンダムはなぜか家にあった逆襲のシャアでした。まだ幼稚園にも通っていなかった自分はアムロやシャアたちの「大人の会話」が理解できず、「ガンダム」が出るまで早送りしていたいたものです。
とは言え、さすがに中学ぐらいになると作中の政治的会話シーンに面白さを感じ始め、いつの間にかすっかりガノタになっておりました。
情報量、センス共に素晴らしい動画で驚きました、仕事中にサボって見ていますが、続きは家でゆっくり見ます。
ガンダムは小学生の時にリアタイで見てたけど、それまでのロボアニメとはだいぶ違和感を感じた。
まず、武器の名前を叫ばない。
敵メカが毎週同じ。
主題歌では正義の味方みたいな歌詞やったけど、内容はそうじゃない等。
登場人物に階級が付くなんて無かったモンね。
後のガンプラブームで後付で設定が作られて、MSが単なるロボットじゃなくて兵器である事と「プラモ狂四郎」でも語っていたけど、ロボアニメにミリタリー色を取り入れたのがヒットの鍵やったらしい。
機体に型式番号や開発秘話や武器にも細かい設定が付いたのはガンダムが初めてやもんね(例、60mmバルカン、120mmマシンガン等)
この作品以降はこの路線でサンライズは大企業になったもんな。
4:30 この辺のBGMがわちゃわちゃしててクローバー生える
始まった当時、同級生からどえらいものが始まったと教えられ3話目くらいから見始めました。
ストーリーが今までのロボット物と違っていたので、ついてけないところがありましたが、今までロボット物と違い、関節ががちゃんと動くようなデザインだったことが衝撃でした。
カワラさんの功績がスゴすぎるのに滅多に前に出てこないの職人感あるわ
カトキも出渕も尊敬するけどやっぱ原典のカワラさんがすげぇな
私も再放送でファーストガンダムを知ったので放送時間は本当に大切ですよね…最近では深夜枠の番組がニチアサ行ったりニチアサが深夜枠にいったり放送時間わけかんなくなってるけど
ポスターとプラモの圧倒的存在感ね。臨場感があるんだよなあ。
貴重な設定絵が見れて眼福
なにげに再生クリックしたらメチャクチャ熱い内容で、思わず夢中になってしまった
ちょうど高校生だったのでアムロ達と同じくらい年が近かった為 「戦争が始まったら 俺達も巻き込まれて殺されるんだ!」といって激論を交わしていました。
これ、かなり貴重な動画
哀戦士編を映画館で観るまでガンダムを知らなかったのですがそんな歴史があったのですね…
自分の地元はド田舎で放送されていませんでしたが、テレビや雑誌で見ていた物を、映画出始めてみた衝撃は……
「緑のザクかっけー!😆」
と言い続けて、それが現在でも変わらないのが凄いことだと改めて思い知らされます
すごい情報量をわかりやすくまとめていただきありがとうございます!
そして要所要所クスッとさせられました。
勉強になりましたし、楽しかった^^
第一次ガンプラブームは壮絶だった、なんせ米屋や文具店と言った関係無い店でも販売し、下手すると主力商品になってたw
入手難易度はキットによっては現在の状況を凌駕する程だったよ。
なんか他のプラモとタッグで売られてたりもあった気がする。
何より当時の熱狂的なファンにも感謝やな
ファンがいなければ再放送もなかっただろうし
初回から見てます。
いつもまとめ方が天才的!
もっと再生数、登録数、伸びていいと思うup主さんです。
ガンダムは一地方局である名古屋テレビ(現在のメ~テレ)がキー局であったため、関西では甲子園中継が優先され
早朝時間帯の変更を余儀なくされて当時家庭用ビデオが普及していなかったので関西のアニメファンが血涙を流したり
地方によっては放映されなかった。
ガンダム再放送へのラブコールの熱さを物語る笑い話を。
ある大学生が下宿のアパートで録音していたガンダムのストーリーを聴いていたら、突然玄関のドアが激しく叩かれた。
開けてみると郵便配達の兄さんがもんの凄い興奮した表情で息を荒げ
「ガ・・・ガンダム再放送されてるんですかっ?! わっ・・・私にも見せて下さいっっっ!!!」
と言ったそうな。(「よたろうランド」より)
素晴らしいまとめ!
お疲れ様です、感謝てす!
20分越えの内容なのに一気に見てしまいました。
いい動画ですね。
特に、いわゆる「ロボットアニメ」のファンじゃなかったけどガンダムには、やけに惹かれました。
当時、他に好きだったものとか人間関係とか回想しました。
うまくまとめてくれますね。面白い。
星飛雄馬を脱皮したもののアムロ・レイばかりになった古谷徹…w
編集お疲れ様でした!!!
45周年!おめでとうございます✨
715: 古谷徹さんはむしろアムロを演じたことでその後、
そのイメージが固定されちゃった感のが強い
7:31〜等、ちょくちょく出る漫画が気になりすぎるwてか読みたい!
大まかな流れは知ってましたが、当時からコスプレとかあって驚きました。
この漫画は「機動戦士ガンダムさん」の中にあるネタの1つ「ガンダム創世記」です。
基本ギャグ漫画なのでキャラクターのイメージが多少崩れても大丈夫であれば楽しめると思います。(私の好きなネタは彗星ヒヨコ)
創世記に関しては私もニワカなので、どこまでが実話てどこまでがネタなのかは分かりません。
@@user-kr4bm2hq5f ご丁寧ありがとうございます!
この書籍探してみます♪
何度も一時停止しながら見ました、ありがとうございます!